21g














 

い つのまにか降り出していた雨が酷く優しくて戸惑った。
  張りつめた鼓膜にひゅるりと響いた燕の鳴き声に雨の理由を悟り、ああだからこんなにも優しいのかと納 得させられてしまった。忙しなく動いていた脚を止め、兵器をしまう。銀の指輪に彩られた指は冷えて色を失い、感覚を戻さなければと何度か 開閉を繰り返す。むすんでひらいて、むすんでひらいて。下ろした視線の先、溜まる水たまりを覗きこみ、雨にも薄れることのないつんと鼻を刺す温い赤が頬を 濡らしているのに気づいて袖口で乱暴に頬を拭う。袖先を濡らした赤がじわりと雨に融けていくのを眺めながら、獄寺は地面を踏みしめた。
 戦場と なった裏路地にはいたるところに生々しい赤が染みついている。それらを踏まないようかつり、かつりと慎重に奥へと足を進めていく。狭い路地を奥に進んでい くと、少しだけ開けた空き地に出る。そこでようやく目当ての人物を見つけ、獄寺は脚を止めた。地面には赤く染まった人々がその身を雨に晒しており、その場 で立っているのは獄寺と、コンクリートの壁に寄り掛かるようにして佇む山本だけだった。

「終わったのか?」

獄寺は問いかけた。山本は答えない。しかし山本が 握りしめたままの刀には未だ鮮やかな赤が幾筋にも伝わり、下に向けられた切っ先から滴りおちたそれが足元に血だまりを作っていた。返り血だろうか、刀の柄 に絡まった小指が赤に彩られていた。

  「終わったんだな」

獄寺は言った。山本はやはり、応えなかった。
  獄寺は溜め息を吐いた。自然、手は胸元の煙草へ向かうが、取り出したそれは雨やら返り血やらでぐっしょりと濡れている。溜め息一つでそれを握りつぶすと、 獄寺は山本に近づいた。中距離支援中心の自分がこれだけの血を浴びることになるなんて、知っていたらこんなもんしてこなかったのに、獄寺は戦闘中に無造作 に弛めたネクタイを指先でなぞって溜め息を吐く。数年前、山本の誕生日、ネクタイのひとつもろくに持っていなかった山本――10代目ファミリーがボンゴレを継いで初めて行われた イタリアでの式典、ネクタイを用意しとけという獄寺にじゃあこれ使うのなと山本が持ってきたのは中学時代に支給された並中のネクタイで、それを見た獄寺は 無言で山本に飛び蹴りを喰らわせた――に獄寺はネクタイを贈り、約4か月後、獄寺の誕生日に山本は俺とおそろい、と いって同じメーカーの色違いのネクタイを贈った。それが、これ。近づいた山本の首に掛っていたのも、自分が贈ったものだった。

今日は、山本の誕生日。

本 当ならこの後ふたりでいつも行くバールで軽く一杯引っかけてふたりで暮らすアパートに帰ってふたりでレンタルしてきた映画をふたりで見ながらまた一 杯、それからいいタイミングで用意していたプレゼントを渡していつものようにふたりでセックス、その流れだった。しかし、突然の襲撃に予定が狂ってしまっ た。

――こいつらも空気読めっての

だって今日は山本の誕生日だ。

――ああでも幹部の情報が敵対組織に漏れてたら、 それはそれで問題か

それに二十歳もとうに過ぎたマフィアの幹部二人が ふたりきりでささやかに誕生日を祝い合ってるだなんて普通考えないだろうしそもそもこんな稼業の身の上で今まで毎年互いの誕生日を祝えてきたことすら奇跡 みたいなもんなんだ、その背後にふたりの関係を知る唯一の存在である10代目の計らいが絡んでいることは確かでふたりに とって唯一絶対の存在である彼の優しさにふたりはどれだけ救われてきたのだろうと、想う。
  頭はやけに冴えていた。山本、と名を呼ぶ自分の声は予想に反してしっかりしたもので、だから獄寺は笑みさえ浮かべて俯く山本の頬に掌を添えた。虚 ろに開かれた山本の目が、獄寺を捉える。何かを言いたげに開かれていた山本の唇を、獄寺はごく当たり前のように塞いだ。

「終わったんだぜ、……山本」

ひゅ るりと燕が啼く。雨は降り続ける。山本の身体が震えているような気がして、胸元にそっと寄り添い肩口に頭を傾ける。鼻を擽る山本の体臭に、未だ冷めやらぬ 高揚感が身体の奥のやわらかな部分にじん、と溜まっていくのを感じる。獄寺は衝動のまま、目の前の、山本の、肌蹴たシャツから覗くくっきりと浮かび上がった綺麗な綺麗な鎖骨に たまった水滴を舌先で舐め取った。ぴりり、広がる刺激は山本の汗かそれとも山本が切った男達の血か。山本を壁に押さえつけたままれろり、鎖骨にたまった水 滴を丁寧に啜る。右と、左と、ふたつの鎖骨を舐め上げ最後にかりりと歯を立てて見せた。それでも山本が何も言わないから、髪を辿って首筋をなぞって鎖骨に たまった水滴を噛み痕から滲んだ血と共に舐め取る。雨と、汗と、血と。舌先を濡らした滴のひとつひとつを想いながら、口内を満たすそれらに獄寺はそっと瞼 を閉じた。瞬きをした拍子に睫毛に絡んでいた水滴が頬を伝わり唇を濡らす。唇を濡らした水滴を舌先で舐め取る。そこまでして、ようやく、安心した。自分は きちんと目の前の現実を受け止められているのだと、だからこんなに乾いているのだと知って、安心した。

柄を掴んだままの山本の掌、その小指に、獄寺は自 身の小指を絡ませた。
 きっと、命の重さはこのくらい。絡めた小指、ふたつぶん。
 重なる二つの指先を伝わる冷たさから確かめて、 
 ああこれがひとの命の重さかと、
 冷たくなった唇を味わいながら、想った。

 





2011.07.11
hito ha shinu to 21g karukunaru.