溺れるように目を覚ます。朝の光のその中で。 意識は嫌というほどはっきりしているのに、体だけはどこか別の空間に置き忘れてしまったかのように、現実味を伴わない浮遊感に包まれている。 夢を見た。美しいようで穢れていて、素敵なようで悲しい夢だった。そう、そんなような夢だったような気がする。だがその夢は思い出そうとすると記憶の端から泡のように消えていく。 夢の欠片をかき集めようとしていた獄寺は、冷たくやわらかいものが唇に触れる感覚に瞼を上げた。そうして目の前に見知った黒い瞳を見つけ、獄寺はゆっくりと瞬きをした。覚醒しきらないまま、獄寺は降りてきた唇を、冷たさと共に受けとった。 「寝ぼけてるのか?」 「それはお前」 触れるだけの口付けから開放された獄寺の言葉に、山本はその瞳を細めた。溺れるようなデジャビュに、獄寺はもう一度、ゆっくりと瞬きをした。山本の冷たい指先がさらりと髪を撫でた時、獄寺は全てを思い出した。途端に鮮明に感じられる鎖の感触に獄寺は顔をしかめ、そうして自身に跨り見下ろしてくる山本を仰いだ。 「・・・お前は、俺をどうしたいんだ?」 昨晩と同じ問いを投げかけると、山本は唇をかみ締めて獄寺から顔を逸らす。そのまま獄寺の体の上から退くと、山本は獄寺の横たわるベッドの頭の方へ回った。かちゃかちゃと金属の触れ合う音が響いたのと同時に、獄寺は自身の体がわずかに自由になっていることに気づいた。 「これで、リビングとトイレには行かれるから」 じゃらり、と長く伸びた鎖を掲げつつ、山本は獄寺を見た。けれど山本の視線は、すぐに獄寺から外された。 「じゃあ、俺は行くな」 帰りは夜になる、山本はそう言いながらソファーに置かれていたスーツのジャケットを羽織った。 「・・・・十代目が心配なさる」 「それなら大丈夫だ。お前、今、休暇中ってことになってるから」 獄寺が小さく漏らすと、山本は乾いた声で返した。思わず山本を見た獄寺は、その口元にうっすらと浮かぶ笑みに気がついた。 「ツナ、お前が最近仕事に根詰め過ぎてろくに睡眠も取ってないって心配してたぜ?久々の休暇なんだからゆっくり休むように、だってさ」 ほんと、ツナはいいやつだよな――山本はベッドへ横たわったままでいる獄寺にゆっくりと近づくと、獄寺を見下ろして微笑んだ。その笑みは、出会った頃の山本の笑みに似ていて、だがそれが決してあの頃のものと同じであるはずがないということに獄寺は気づいていた。 「心配すんなよ」 微笑みながら、山本は口を開いた。 「服も、本も、煙草も・・・・必要なものは、全て揃えてやるからさ、だから、」 そっと頬に添えられた山本の手の冷たさに、獄寺はわずかに震え、その震えを押さえようと柔らかなシーツを握りしめた。山本は身を屈めると、ほとんど触れ合いそうな距離で獄寺の瞳を覗き込んだ。 「ここに、いろよ」 まあ、どこか行こうとしても行かれないけどな、山本は獄寺の手首から繋がる鎖をしゃらりと弄んで見せる。そうして寄せられた唇を獄寺は首を捻って避け、きつく瞳を閉じた。 しばらく息が詰まりそうなほどの沈黙が続き、このまま呼吸が止まってしまうかもしれないと獄寺が思ったころ、パタンと控えめに扉が閉まる音が響き、獄寺は詰めていた息を吐いた。山本のいなくなった部屋は、しかし、未だに僅かな山本の残り香が漂い、獄寺の鼻腔を刺激してはその存在の大きさを知らしめている。窓から差し込む柔らかな日差しが剥き出しの肌を照らし出しているのを、獄寺は肌に感じる温もりから認知した。 瞼の裏をやく白い光の中で、獄寺は昨晩のことを思い返していた。 ***
その夜、山本と獄寺はボンゴレの所有するバーのひとつにいた。そしてその場には、ボンゴレ専属医であるシャマルもいた。今夜暇なら飲みにでも行かねえ?、と山本が仕事から帰ろうとした獄寺を誘い、どうせ暇なんだろ?お前も付き合えよ、と獄寺が廊下ですれ違ったシャマルを誘ったのだ。 マフィアとして仕事の拠点をイタリアに移すそれ以前からの付き合いである二人と酒を飲み交わすうち、ふと、気が緩んでしまったのだ。自分はいくらか酒に強いという自負もあり、獄寺はついつい飲みすぎてしまった。 「まったく、お前は・・・おい、隼人!いい加減、自分の限度ってもんを弁えたらどうなんだ?」 赤い顔でカウンターに突っ伏す獄寺に、シャマルはため息混じりにそう言った。 「・・・うっせえ、ヤブ医者・・・女のケツ追い回すことしか能がねえお前に・・・言われたくねえよ」 「――見た目はいっぱしになっても、中身はガキのままだな、お前」 口の悪さも相変わらずか、シャマルは軽く肩をすくめると、なだめるように優しく獄寺の頭を撫でた。シャマルの節くれ立った、しかし美しいと形容すべき指が、10代の頃よりも短くなった銀髪をさらりとたどる。「ガキ扱いすんじゃねえ」と獄寺は小さく呟いたが、髪を滑るその手を振り払おうとは思わなかった。 「獄寺、酒には弱いのな」 それまで二人のやり取りを無言で見つめていた山本は、いつもの調子でそういうと、カウンターに突っ伏す獄寺の肩を多少乱暴に引いた。力の入らない獄寺の体は反動のままにくたりと山本にもたれ掛かる。山本の肩に寄りかかる、という獄寺にとってはあまりにも情けない格好に、しかし獄寺は既に指一本動かすことすら億劫で、山本に身を任せるしかなかった。 「うーん、酒臭いなあ・・・」 山本は苦笑すると、ちらりと壁に掛けられた時計に視線を向けた。山本の視線を追うようにして時計を見たシャマルに、山本は口を開いた。 「おっさん、確か明日、早出だろ?獄寺はこんなだから・・・・俺の家近いし、今夜は俺の家に連れてくよ」 にっこりと微笑んだ山本に、シャマルも僅かに唇を吊り上げる。 「じゃ、頼むわ」 軽く答えるシャマルの声を、獄寺はぼやけた意識の片隅で聞いていた。 ぐったりと力の抜けた獄寺の肩を、山本の腕が抱きなおす。 「獄寺?」 「ん、・・・」 「――行くよ」 獄寺はその奇妙に甘い囁きを最後に、意識を手放した。 +++
唇に触れる冷たい感覚に、獄寺は目を覚ました。ぼんやりと霞む思考に追い討ちをかけるよう、あたりは薄闇にぼんやりと蝕まれていた。だから獄寺は、目の前に見慣れた黒い瞳と黒い髪を見つけても、今の状態を理解することができなかった。 「酔ってるのか?」 「それはお前」 獄寺の問いかけに答えた声はやはり聞きなれたもので、獄寺は眉を寄せると目の前の山本を睨んだ。山本の黒く深い瞳が、すっと僅かに細められる。その瞳は敵に対峙する時のそれに似ていて、同時に今にも泣き出してしまいそうな儚さを孕んでいた。今まで見たこともない山本の表情に戸惑い、何か言おうと開きかけた獄寺の唇は、突然寄せられた唇によって塞がれる。 「・・・ん、・・・・・っふ・・、」 触れた唇は酷く冷たいのに、歯列を割って進んでくる舌は火傷するのではないかと思うほどに熱かった。口内を味わうように、しかし、性急に深められていく口付けに流されそうになり、自身に圧し掛かる体を押し返そうとして、獄寺はそのことに気がついた――体が、動かせない。獄寺が横たえられているのはベッドだったが、獄寺の両腕はそのベッドの支柱に括り付けられているようで、同じ支柱に括り付けられている片足も殆ど動かすことは出来なかった。酷く重い腕や足を動かすたびに微かに鳴る金属の擦れる音に、獄寺は瞳を見開くと、驚愕の表情で山本を見上げる。山本は、ただ黙って獄寺を見下ろしていた。 「や、まもと、・・・・お前っ・・・」 「大丈夫だ、獄寺。大丈夫・・・すぐに何も考えられなくなるから」 「何、・・・、してんだ・・・、」 紡いだ声は弱弱しく掠れていて、獄寺はそんな自身の声に気づいて唇をかみ締めた。 「何、・・・してんだよ、・・・山本っ」 山本は投げかけられた問いに答えることなく、獄寺から視線を逸らす。山本の手がズボンのベルトに掛かった時、獄寺は自身の脳裏に浮かんだ考えにぞっとし、山本の手から逃れようと我武者羅に体を動かした。しかし、拘束された両腕と片足はがちゃがちゃと耳障りな音を奏でるだけで、唯一自由な左足は山本の膝でがっちりと押さえつけられているため、痙攣したように僅かに跳ねただけだった。山本は獄寺の抵抗などものともせずにベルトを抜き取ると、獄寺のスラックスを下着ごと下ろした。 「っ・・・・、!」 冷え切った山本の指に欲望の中心を撫でられ、獄寺は鋭く息を呑んだ。花芯に絡みついた山本の指が明らかな意図を持って動き始め、獄寺は漏れそうになった声を抑えようと拳を握り締めた。 「山本、・・・や、めろ・・・お前、やっぱり酔ってるんだろ・・・?」 「・・・酔ってなんか、いない」 思わず零れた獄寺の言葉に、山本は静かな声でそう言った。仰いだ山本の表情のあまりの真剣さに獄寺は唇を震わせ、何かを言いかけたが、そこから漏れたのはただ熱い吐息だけだった。 「ぁ、・・・・ふ、っ・・・ゃ、・・め、」 何度も肉刺が出来ては潰れた硬い掌が花芯を揉みし抱く感覚に、獄寺は翻弄されるしかなかった。冷たい指が獄寺の花芯を握り締め、根元から先端にかけて何度も扱く。その動きはだんだんと激しさを増し、それに合わせて獄寺の息も上がってきた。 「いゃ・・・・・・ぁ、っ、―――っ・・・・・・」 先端を押し広げるように指で突かれた時、獄寺は山本の手の中に蜜を迸らせていた。 「は・・・・ぁ、――は、ぁ・・・・・・っ」 精射の余韻に、獄寺は唇を細かく震わせる。上がった息を整えようと浅い呼吸を繰り返していた獄寺は、後孔に沿わされた指の感覚にびくりと身を強張らせると、山本を仰ぎ見た。 「や、めろっ・・・!山本、・・いい加減に・・・っ、」 「――どうしてだ?」 震える切願の声は、無邪気ともいえる山本の笑みに遮られる。 「お前が望んだことだろ?・・・まあ、望む相手は、俺じゃなかったけどな」 山本はそっと片手を獄寺の頬に沿え、顔を寄せると酷く優しい声で囁いた。 「そんなに嫌なら、目を瞑ってればいい。俺の手を、あいつの手だと思えばいい」 獄寺の瞳をじっと覗き込み、山本は笑みを深めた。 「俺に抱かれながら、お前の愛するあのおっさんのことを想っててもいいんだぜ?」 「っ!?」 山本の言葉の意味を知り、獄寺は自身の頬がかっと熱を持つのを感じた。返すべき言葉が見つからずに獄寺の瞳は揺れ、唇は戦慄く。獄寺の様子に、山本はくすり、と小さく笑みを零した。 「俺、ずっとお前のこと見てたんだ。気づかないはずないだろ?」 お前があのおっさん――シャマル、だっけ?そう、お前はそう呼んでたよな――を好きなことぐらい分かるよ、そう言う山本の声は愛でも囁くかのように甘く切なかった。誰にも吐露したことのない自身の想いを口にする山本を、獄寺は呆然と見つめた。その黒い瞳は深く、暗く、何の感情も読み取ることは出来ない。 獄寺は静かに問いかけた。 「・・・・お前は、俺をどうしたいんだ・・・?」 瞬間、部屋を取り巻く薄闇が、濃密になる。 「・・・・・それを、お前が聞くのか?」 しばらくの沈黙の後、山本は小さくそう言った。あまりに頼りないその声を耳にして獄寺は口を開きかけたが、山本は獄寺から視線を逸らした。 「っ――・・・・、!」 次の瞬間、後孔を貫いた指に、獄寺は陸に打ち上げられた魚のようにびくりと大きく身を跳ねさせた。山本は先ほど獄寺が放った蜜を指に絡め、ゆっくりと蕾を押し広げていく。 「っ、・・・・・ぁ、・・・・く、ぁ・・」 後孔を犯す指が増やされ、山本の長い指に狭い蕾を引き裂かれる感覚に、獄寺は涙を潤ませた。性急ともいえる山本の行動に獄寺は短い悲鳴を漏らし、強制的に広げられていく蕾の刺激に耐えようと唇を噛み締める。 「っん・・!!・・ぁ・・・・、」 ずるり、と後孔から指を引き抜かれ、獄寺は無意識のうちに詰めていた息を吐く。しかし、自由な左足を持ち上げられ、指での愛撫にひくつく蕾に山本の熱い憤りを押しつけられるの感じると、獄寺は瞳を見開きゆるゆると力無く首を振った。 「い、・・・やだ、・・・や、まも・・と・・・」 「・・・・」 山本の唇が、声にならない言葉を紡いだ。獄寺にはそれが「ごめん」と言っているように聞こえた。問い返そうと口を開いた獄寺を、山本はその雄で一気に貫いた。 「っ、・・・・・っああぁ、・・・・っ―――、」 ずずっと、内側の壁を擦られ、獄寺の瞳から堪えていた涙が溢れる。開かれた内股が、ふるふると小刻みに痙攣した。 「ん、・・・・ふ、・・ぁ・・・」 荒い息を吐いていた獄寺は、山本の唇に口を塞がれぎゅっとシーツを握り締めた。労わるような、優しい口付けに、獄寺はなぜだか無性に泣きたくなった。 「ふ、・・・・ん、ん・・・っ」 深まる口付けと共に腰を強く突き上げられ、獄寺はくぐもった喘ぎ声を上げた。深く突き入れられたまましっかりと腰を固定され揺さぶられると、結合部から淫らな音が立ち、聴覚からも攻め立てられる感覚に獄寺は首を振って悶えた。山本の掌がゆるく立ち上がって快楽を主張する獄寺の花芯に触れ、激しく扱き始める。 「ん、・・・・・っ―――・・・」 ひくり、と喉を鳴らして獄寺は達した。同時に内部に放たれた熱い迸りを、獄寺は腰を震わせて受け入れた。 ゆっくりと山本の体が覆いかぶさってくる。好きだ、と小さく呟く声が聞こえた。胸を濡らす温もりに気づいたが、獄寺は気がつかない振りをした。 ***
獄寺はゆっくりと瞳を開けた。 途端に網膜をやく傾き始めた陽の光に、獄寺は深く息を吐いた。 愚かな恋だとは、自覚していた。あきらめようにもあきらめられない、そういう恋をずっとしていた。そういう意味で、こうして今自分を拘束している山本も、拘束されている自分も同じなのだと、獄寺は気づいてしまった。あの時、微かに震える山本の告白を聞いた時に――・・・。 夜が来れば、山本が帰ってくる。獄寺は知っていた。ベッドの下の小箱に山本の愛用する拳銃が隠されているということも、恐らくそこに自身を拘束する鎖を断ち切る鍵が隠されているということも。しかし獄寺は動けなかった。動かなかった。 獄寺はもう一度深く息を吐くと、ゆっくりと瞳を閉じた。 しゃらり、と鎖の触れ合う音が、控えめに部屋に響いた。 2009.04.03
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