時の流れと空の色に何も望みはしないように、 ドアノブに置かれた白い手に背後からそっと手を重ね、弾かれたようにふり返った彼をドアに押し付け強引に唇を奪う。間近で見開かれた深紅の瞳に煽られるように、さらに口づけを深めた。 「ふっ、……」 歯列を割り、突然の口付けに萎縮した舌を絡め取って唾液を混ぜる。漏れる吐息すらも逃がさないような口づけを仕掛けつつ、存在を主張する自身を知らしめるように腰を押しつけると、びくり、と腕の中の身体が跳ねて思わず目元が緩む。 最後に下唇を軽く食んでから唇を解放すると、瞬間がつん、と頭を殴られた。 「何欲情してやがる」 いつの間に手にしたのだろう、Gはマグナム片手にじろりと視線を鋭くさせた。殴られた頭はずきずきと痛みを訴えるが――おそらくマグナムのグリップで俺を殴ったのだろう、全くつくづく容赦のない男だ――、Gを囲う腕を解くことはしない。Gの眉間の皺が深くなる。 出かけようとしていた矢先のことだ。早くしろ、と急かすGの瞳が慈しむように僅かに細められていることに気づいてしまって、たまらない気持になった。たとえるならばそれは、冷たく澄み切った水に付き落とされたかのような衝撃だった。 Gを見つめたまま、呼吸をするのと同じくらい自然に「愛してる」と呟く。Gが溜め息をついた。 「わかったから離せ。遅刻する」 「抱きたい」 「はあ?何言ってやがる」 「抱きたい、といった」 「今かよ?」 「ああ」 「……仕事どうすんだよ」 「お前が悪い」 「あん?」 「俺をその気にさせた、お前が悪い」 責任取れ、腰を抱き寄せ首筋に顔を埋め、その艶やかな髪に口づけを送る。それでもまだ足りなくて、もう一度、愛してる、と口にする。頭上で盛大な溜め息が漏らされ、かちゃり、と響いた金属音にGが懐中時計を確かめたのが分かった。 「はいはい、責任だったら後でたっぷり取ってやるから、とりあえず今は離せ」 今日の集まりにはアラウディも来るんだろあいつ遅刻すると機嫌最悪になるじゃねえかまとめる俺の身にもなってみろ、紡がれる内容などもはやジョットの耳に は入っていなかった。ただ、鼓膜を揺らす心地よい低音に瞬きをし、顔をあげてじっと彼を見つめる。オレだけしか知らない彼の名前を小さくその名を紡ぐと、 忙しなく動いていたGの口が止まる。 黄昏時の部屋はしん、と静まり返っていて、穏やかな沈黙がとくり、と高鳴る心臓の鼓動を包み込む。Gの瞳を真っすぐに見つめたまま、愛してる、と唇だけで愛の言葉を囁いて、指先でその頬に刻まれた誓いの印を優しくなぞる。 睨みつけるだけだったGの瞳が、観念したかのように軽く閉じられた。 「……てめえの好きにしろよ」 俺は知らねえからな、マグナムをおさめた手でくしゃりと頭を掻くと、Gは吐き捨てるように言った。 その唇にうっすらと浮かぶ笑みを知り、俺は微笑みと共に再び深い口づけと愛の言葉を送る、いつものように。 題名は椎/名/林/檎の「幸福論」より 2010.6.19 |