1℃に満たない朝に















 ホテルの指定された部屋に入るとすぐに、山本は獄寺を抱きしめた。獄寺は山本の背に腕を回しながらサイドテーブルの時計を見つめる。午前三時二十分。伸 ばした獄寺の指先に、山本がその背に背負う刀の柄が触れる。頬を寄せた肩口を包むスーツはどこまでも深い闇色。間違いなく、山本は午前五時二十分にはこの 部屋を出る。
 「会いたかった」
 山本は獄寺の耳元に囁いた。
 「獄寺、香水変えたのな……いつの間に?」
 獄寺はその時初めて顔を上げ、山本の顔を見つめた。以前より痩せたようだ、手入れを忘れているのであろう顎には無精髭。獄寺がわかったのはそれだけだっ た。山本は獄寺の髪をまるで壊れ物でも扱うかのように撫で、指でひとつひとつその形を確かめるかのように丁寧に顔をたどっていった。獄寺はそれを黙って受 けた。
 「山本……」
 獄寺は頬を撫でる山本の掌に手を重ねた。
 「時間がない」
 「いつもそうだ」
 山本は僅かに肩をすくめて笑った。
 「お前ってセックスも仕切るのな、ボンゴレの右腕さん?」
 「それが俺のやり方だ」
 知ってんだろ?、山本の軽口に獄寺は鼻で笑って見せる。
 「気に入らないなら出てけよ、山本」
 嘲るように言うと、山本は獄寺の肩を掴んでベッドへ押し倒した。急なことで薄く開かれたままの唇に貪るような口づけをされ、気がつくと獄寺は上半身の服 をはぎ取られていた。素肌に触れる冷たい空気に震えた獄寺の肌に、山本はくすりと笑って口づけで熱を持った唇を押しつけた。
 「性急だな」
 「時間、ないんだろ?」
 山本の掠れた声が鼓膜を揺らす。忘れかけていたその声音に獄寺は深く息を吐くと、ゆっくりと瞳を閉じた。
 「ああ、そうだ。時間がない」
 獄寺は唇を歪ませると、自身を囲む腕からするりと抜け出し不意を打たれた山本を下に組み敷いた。薄汚れたワイシャツ――そこから漂うのは汗と雨と硝煙と 血の匂い、嗅ぎなれた山本の匂いだった――のボタンを引きちぎる勢いで外してスラックスの前を寛げると、獄寺はすでに僅かに主張する山本自身を躊躇なく口 に含んだ。
 「ん、……ふっ……、」
 高ぶりに舌を絡め、唇に挟んで顔を動かし喉の奥まで受け入れる。山本の手が獄寺の頬にかかる髪を掻き上げ、獄寺は高ぶりを口にしたまま上目づかいで山本 を見つめて瞳だけでこれが欲しい、と訴えてみせる。山本が、小さく息を呑んだのが分かった。
 「は、……ん、」
 見せつけるように山本をれろりと根元から舐め上げ口を外すと、獄寺は素早くスラックスを下着ごと脱ぎ捨てた。既に自身で準備を施した蕾が、その空白を埋 めてくれるであろう存在への期待にひくり、と熱を持つ。獄寺は山本の膝に跨ると、そそり立つ山本を片手で固定してその上に一息に腰を下ろした。
 「くっ、ん――ぁあ、……」
 思わずあがった声に、山本が少しだけ眉を下げる。
 「無理すんなよ」
 「何言ってやがる」
 獄寺は片頬を引き攣らせて笑った。圧迫感に軽い吐き気を覚えながらも、山本自身を全て受け入れる。
 山本は最初獄寺の好きにさせていたが、痛みに堅く結ばれた獄寺の唇がやまもと、と苦痛の喘ぎと共にその名を呼んだ途端、跨る細腰を掴んで力任せに揺すり 始めた。
 「う、あ……!」
 突然の激しい揺すぶりに、獄寺は堪らず山本の上に倒れ込んだ。しかし、このまま流されてしまうのは獄寺の矜持が許さない。獄寺は腰を揺らし、山本を追い 詰めようとした。獄寺の意図を分かっているのか否か、山本はにやりと笑みを深めると唇を舐めた。ちらりと覗いた舌の赤さに獄寺が気を取られたその一瞬後、 獄寺は山本の下に組み敷かれていた。山本は唇を押し付けて、ほとんど強引ともいえる仕草で唇を奪う。投げ出された獄寺の脚を開かせると、音を立てるほど激 しく腰を突き動かした。
 「っああ、や、……まも、……」
 獄寺はあっさりと主導権を奪われてしまった屈辱と目がかすむほどの快楽に、無意識に山本へ腕を伸ばす。伸ばされた獄寺の手を、山本の力強い腕が掴んだ。 ひくり、と獄寺の喉がなる。山本はゆっくり押し込むように動いた後、再び激しく腰を打ち付けた。獄寺は両足を山本の腰に絡ませ、もっと深く山本を受け入れ ようと引き寄せた。
 「中に、お前の……全部……くれよ……っ」
 獄寺はうわ言のように呟いた。山本はそれを聞き取った。口元に刻んだ笑みをそのままに、壊すつもりなのかと思うほどの激しさで獄寺を突き上げた後、山本 は小さく呻いて獄寺の中にその欲望の全てを吐きだした。獄寺は目を閉じて、体内に吐き出された熱を全て受け入れる。山本の何度も肉刺が出来ては潰れたであ ろう堅い指先が獄寺の花芯を包み込み、獄寺も熱い吐息と共に熱を吐きだした。
 荒い吐息が部屋を満たす。山本はしばらくそのままぴったりと獄寺に身体を添わせたまま、啄ばむような口づけを銀髪に降らせていた。眩暈がした。勘違い してしまいそうだった。獄寺は山本の腕に軽く爪を立てた。
 「山本、離せ……」
 「まだ時間はあるぜ?」
 「こんなための時間じゃない!」
 獄寺は思わず叫んだ。山本は驚いたように獄寺を見つめた。セックスの後は必ず山本は優しくなる。その優しさが、獄寺は嫌いだった、吐き気がするくらい。 山本は獄寺の頬を指で撫で、なだめるように首をかしげた。
 「もう一回?もうちょっと待った方がいいんじゃね?獄寺、つらいでしょ」
 「……そんなこと言ってるんじゃねえ」
 獄寺は心を落ち着けようと、深いため息をついた。
 「そう?」
 山本は微笑を見せた。獄寺は山本の目尻に薄ら寄った皺に触れた。
 「ああ」
 獄寺はゆっくり目を閉じた。まだ時間はある。まだ。でも時間になったら、必ずこの男は出て行く。出て行かなければならない。それは山本のためであり、獄 寺自身の為であった。
 失うものが多すぎるのだ。特別な存在をつくるべきではない、特別な存在になるべきではない。特別な存在は、人を酷く臆病にしてしま う。獄寺は山本と出会ってからの10年でそれを知り、山本と関係を持つようになってからの10年でそれを学んだ。
 「もうちょっと、こうしてていい?」
 抱きしめてくる山本の腕に力が込められ、囁く声が獄寺の耳に入る。獄寺は眩暈を抑え、頷いた。山本が嬉しそうに笑い、嗚呼、また眩暈が。獄寺は山本の首 に腕を回す振りをして、サイドテーブルの時計を手に取った。そして山本の額に掠めるような口づけをしながら、指で長針を進ませる。
 「……思ったよりも、時間かかっちまったな」
 「今何時?」
 「四時半」
 「え、もう?」
 「あと一時間弱か……こうして眠っててもいいな」
 「そんな、またしばらく会えないんだろ?……あと一回だ。あと一回」
 山本は獄寺の体に手を這わせた。熱を持った身体に何度も何度も小さく口づけをし、愛撫する。
 「獄寺、……」
 山本が獄寺を見つめる。山本の口がもの言いたげに震えるのを見て、獄寺はその吐息が言葉になる前に山本の口を唇で塞いだ。
 「あと一回、だろ?」
 挑発的に微笑み、再び熱を持ち始めた自身の存在を知らしめるように山本の腰を引き寄せ得る。山本の目に、欲望が灯る。自身の中に受け入れたままの山本が どくり、と熱を持つのを感じ、獄寺はそっと瞼を閉じた。

 あと一回だ。あと一回だけだ。

 かちり、かちりと刻まれる時計の秒針を聞きながら、獄寺はそう自身に言い聞かせた。







楽 観的になるには、彼らは現実をよく知りすぎていた

2010. 08.20