スケープゴート













 
 微笑を象った唇が降りてくるのを、獄寺は夢見る心地で見守った。合わせた唇を受け入れるようにうっすらと開け、とたんに入り込んでくる熱い舌に「十代目、」と掠れた声でその名を呼ぶ。呼びかけに答えるようにして深まる口付けに身を揺らすと、しゃらり、と手首に巻かれた鎖が冷たく響いた。
 「十代目、」
 つう、と透明な糸を引いて離れていく唇に、獄寺はもう一度その名を口にした。目の前の琥珀の瞳がなに、とでも言いたげに細められる。呼吸を整え、獄寺は口を開いた。
 「これ、外してください」
 「だめ」
 獄寺の言葉に歌うように答えると、綱吉は獄寺の口の端から溢れた唾液を舐めとり笑みを深めた。しゃらり、と、また鎖が響く。
 「・・・どうして、ですか?」
 「だって獄寺くん、これ外したら逃げるでしょ?」
 これ、と言いながら綱吉は獄寺の手首を拘束する鎖をついっと指先で撫でる。鈍く輝く鎖の先は、ベッドの主柱へと繋がっていた。
 「逃げませんよ」
 「うそ」
 穏やかとも言える声は、同時に否と言わせない静かな暴力性を秘めている。うそ、と、綱吉はもう一度呟いて獄寺の瞳を覗き込む。反射的に口を開きかけた獄寺は、しかしその瞳に含まれる感情をはかりかね、結局何も言わないまま口を閉じて再び降りてきた唇を受け止めた。
 「ふ、・・・っぁ、・・」
 綱吉の口付けは優しく、そして、激しかった。合わせた唇はあまりに柔らかいのに、口内を愛撫する舌はあまりに激しい。肉厚の舌に舌を絡め取られ、強く吸われ、甘くはまれると、獄寺の口から鼻にかかった声が漏れる。
 口付けから解放されるころには、獄寺の息はすっかり上がっていた。浅い息を繰り返す獄寺を、綱吉は瞳を細めて見つめていたが、ふっと思い立ったように自身の人差し指をれろりと軽く舐め、それを獄寺の口許に差し出した。
 「舐めて」
 綱吉の意図するところを正確に読み取ると、獄寺は差し出された指にそっと舌を添わせた。
 「ふ、・・・は、――ぁ・・・」
 冷えた指先をちろちろと小さく舐めてから、ゆっくりと口に含む。口付けで熱を持った口内に、綱吉の冷たい指先は酷く扇情的に思えた。獄寺はたっぷりと唾液を含ませた舌でその指を一本一本丁寧に舐めあげ、指の股までも熱い唾液で濡らしていく。その間、獄寺はじっとりとこちらを見つめてくる綱吉の視線を肌に感じていた。
 「もういいよ」
 獄寺の口から指を抜き取ると、綱吉は獄寺の口内で温まった指を、晒された獄寺の肌へ導く。唾液に濡れた綱吉の指先がついっと素肌をすべり、引き締まった脇腹を辿って中心へ、さらにその奥に息づく蕾へと行き着く。何度か確かめるように蕾の縁をなぞってから、綱吉はゆっくりと指を挿入した。
 「っ――、・・・」
濡れた指に蕾をじりじりと割かれていく感覚に、獄寺は小さく息を呑んだ。何度経験しても慣れることのないこの瞬間の衝撃に、獄寺の唇が震える。
 「あついね、獄寺くんの中」
 綱吉はそう呟くと、慣らすように何度か浅いところで抜き差しを繰り返し、そして一気に指を根元まで突き入れた。
 「く、・・・ぁ・・・・・、・・・」
 衝撃に反り返った獄寺の首筋には、うっすらと汗が滲んでいた。綱吉は指を増やすと、ことさら丁寧に獄寺の蕾を解し、獄寺を焦らす。十代目、と獄寺は吐息だけで呼びかける。綱吉は蕾を刺激しながら、身体を折って獄寺の耳元へ口元を近づけた。
 「ひ、・・・ゃ、・・じゅ、――だい、めっ・・・」
 綱吉は獄寺の耳たぶを口に含むと、耳元に輝くピアスを舌先で転がした。湿った吐息が耳を掠め、獄寺の長い睫がふるりと震える。
 「ねえ、獄寺くん。教えてほしいことがあるんだけどさ、」
 「は、・・・ぁ、・・・っな、・・・ん、です・・・、?」
 ねっとりと耳を舐め上げながらそう問われ、獄寺は鼓膜を揺らす低音にざわりと肌を粟立たせた。綱吉はくすりと小さく笑みを零し、その耳元で呟く。
 「今日の会議の後さ――どこにいたの?」
 獄寺は目を見開いて綱吉を仰ぎ見た。そこにあったのはいつもと変わらぬ笑みで、しかしその笑みがいつもと同じでないということに獄寺は気づいてしまった。微笑んだまま、綱吉は続けた。
 「俺、獄寺くんのこと探してたんだけどさ、見つからなくって」
 「そ、れは・・・っ」
 ひゅう、と言葉になりきれない声が唇を震わす。震えた唇が酷く乾いていることを、獄寺は知った。
 「・・・山本、」
 「っ、」
 「――も、いなかったんだよね。どこ行ってたんだろう」
 呟かれた名前にびくり、と肩を振るわせた獄寺に、綱吉は瞳を細めて微笑んだ。思わず、獄寺は綱吉から視線を反らす。反らそうとした。しかし、綱吉はそれを許そうとはしなかった。反らされかけた獄寺の頬に片手を添えて固定し、その瞳を覗き込む。
 「教えてよ、獄寺くん。どこにいたの?――誰と、いたの?」
 琥珀色に煌く瞳が、真っ直ぐに獄寺を見据えていた。獄寺は、戦慄く唇を開いた。
 「――自室に、・・・書類を、取りに・・・ひとり、で」
 「・・・そう」
 綱吉はにっこりとした。その笑みに怯えた獄寺の中から指を抜くと、綱吉は身を屈めて獄寺の花芯を口に含んだ。
 「ふ、っ・・ぁ、じゅ、・・・だ、い・・・め、」
 蕾の刺激に花芯はゆるりと立ち上がり、先端から先走りの蜜を漏らしている。綱吉は舌で優しく花芯を舐めながら、「もうすぐ来るかな」と小さく呟いた。
 「え、・・・?」
 次の瞬間、部屋に響いたノックの音に、獄寺は身を強張らせた。動揺を隠し切れないままに獄寺は綱吉を見つめたが、綱吉は悪戯に獄寺の花芯を弄ぶだけで顔を上げようともしない。喘ぎが漏れないようにと唇を噛み締めたところで、ノックの音が、再び部屋に響く。
 「・・・獄寺?」
 扉の向こう側から控えめに呼びかける声の持ち主に思い当たり、獄寺は息を呑む。慌てて身を起こそうとしたところでしゃらり、と鳴った冷たい音色に、獄寺は手首を拘束する鎖の存在を思い出して青ざめた。
 「獄寺――いるんだろ?」
 「っやま、・・もと」
 手首に食い込む鎖は固く、逃れることなど出来そうにない。獄寺、ともう一度、山本は扉の向こう側から呼びかける。獄寺は決心し、乱れた吐息を悟られないようゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
 「っ悪い、が・・・用事は、・・・ぁ、・・・明日、に・・・っ」
 「開いてるよ」
 突然、綱吉が言葉を発した。その感情の図ることのできない声音と紡がれた内容に、獄寺は声をあげることが出来なかった。
 一瞬の間の後、かちゃり、とノブが回され、薄闇に包まれた部屋に一筋の光が差し込む。
 山本はベッドの横に佇むと、絡み合う二人の姿を見て、僅かに顔を歪ませた。
 「頼む、山本・・・帰って、くれ・・・」 
 獄寺は掠れた声で切願した。
 山本はしばらく無言で獄寺を見つめていたが、獄寺から顔を背けると顔を上げた綱吉に向き直った。
 「ツナ・・・本気か?」
 「俺はいつでも本気のつもりだけど?」
 綱吉は肩をすくめて微笑んだ。そして、呆然と綱吉を見る獄寺に笑みを深めると、震える獄寺の頬を優しく撫で上げた。
 「獄寺くん・・・あのね、山本、獄寺くんが好きなんだって。愛してるんだって。知ってるよね?――今日、会議の後、本人から聞いたもんね」
 「じゅ、・・だい・・・め、」
 俺は、と続けようとした獄寺の口から、言葉になりきれない吐息が震え出る。綱吉はにっこりと嗤って口を開いた。
 「だからさ、――抱かれてあげなよ」
 笑顔で発せられた言葉に、獄寺は一度ゆっくりと瞬きをした。言われた言葉の意味が、分からなかった。しかし、獄寺の身体から退いた綱吉と入れ替わるようにして圧し掛かってきた山本に、獄寺は瞳を見開いて身を強張らせた。
 「優しくするから・・・安心して、な?」
 獄寺、と呼びかける山本の声は、先ほど会議の後、「好きだ」と告げたその声と同じで、今にも消えてしまいそうな危うさを孕んでいた。あの時、返す言葉が見つからずに小さく「ごめん」と返した獄寺に、「そんな顔が見たかったわけじゃないのな」と山本は困ったように笑った。
 その時の山本の笑みを思い出していた獄寺は、頬に触れる手に気づいて顔を上げた。山本は、今もなお、笑っていた。泣いているように、笑っていた。山本、と呼びかけようとした獄寺は、山本の手が性急に中心へと伸ばされるのを目にして顔を強張らせた。
 「ゃ、め・・・山本・・・冗談だろ、」
 「人の気持ちを冗談だなんて言っちゃだめだよ」
 山本はずっと前から獄寺くんのことが好きだったんだから、悲痛を帯びた獄寺の声に、穏やかともいえる綱吉の声が重なる。
 「じゅ、うだい・・め・・・、どうして・・・?」
 投げかけた獄寺の縋るような視線に、綱吉は笑みをその口元に刻んだだけだった。
 「これっきり、だから」
 向けられた笑みの冷たさに震えた獄寺の頬を、温かな山本の掌が優しく撫であげる。その優しさに嗚咽が漏れそうになり、獄寺は唇を噛み締めるときつく瞳を閉じた。いいか?、と耳元で囁かれた山本の言葉に、獄寺は無言のまま頷くしかなかった。
 山本は獄寺の両足を恭しく持ち上げ股を広げさせると、ゆっくりと腰を進めていった。
 「く、・・・・っ・・ぁ、」
 張り詰めた熱――それは普段獄寺が受け入れているものより悲しく熱い――が綱吉の指によって解された秘肉を裂いていく感覚に、獄寺は爪先を強張らせた。思わず掌を握り締めると、しゃらり、と冷たい鎖の音が響く。なんとか息を整えようと、獄寺は浅い吐息で唇を震わせた。
 欲望の全てをおさめてしまうと、山本は乱れた獄寺の髪に指を絡ませた。さらり、と薄闇にも艶やかな銀糸の髪が、山本の指先を滑る。
 「――動く、な?」
 獄寺の息が整うのを待ってから、山本は動き始めた。恋人同士がするような、優しい振動だった。気遣うように髪を撫でてくる山本の指先が、酷く苦しい。
 「ご、くでら・・・」
 「っ、・・・・ぅ、・・ぁ――」
 熱を孕んだ声と共に、山本の動きが激しさを増す。しかし髪を伝う指先は依然として優しい。山本の指先に、獄寺はもっと激しく抱いてくれればいいのに、と思った。何も考えられないくらい、激しく自分を犯してくれればいいのに。そうでないと、目を閉じていても感じるあの琥珀色の瞳に耐えられそうにない。
 「ん、・・・はぁ、・・・っ」
 山本に最奥を突かれ、獄寺は大きく背を撓らせる。きつく閉じた瞼の裏で、獄寺は綱吉の鋭い視線――それは喘ぎを漏らす獄寺の舌先にちりり、と炎を舐めたときのような衝動を呼び起こす――を感じていた。
 「っ――、ぁ、・・ああっ――・・・、」
 綱吉の琥珀の瞳と、その瞳に映っているであろう自身の姿を思い浮かべながら、獄寺は絶頂を迎えた。
 「っく、・・・」
 山本は低く呻くと、快楽に打ち震える獄寺の中からゆっくりと自身を抜いて自身の手で憤りを沈めた。静寂の渦巻く部屋には、二人の荒い吐息だけが響いていた。
 「――・・・獄寺」
 静かな声で、山本はその名を呼んだ。獄寺は瞳を閉じたまま、答えようとしない。
 「獄寺、」
 もう一度呼びかけ、そっと獄寺に口付けを落そうとした山本の動きを、「山本、」と小さな声が止める。
 「もう十分でしょ?」
 綱吉はベッドへ近づくと、山本に微笑んだ。山本は獄寺を見つめたまま、動こうとしなかった。
 「山本、」
 もう一度、綱吉は口を開いた。その声は穏やかだったが、明らかな拒絶の色が含まれていた。山本は虚ろな瞳で綱吉を仰ぎ、色を失った唇をもの言いたげに震わせる。しかし結局何も言わないままに瞳を伏せると、静かに部屋を後にした。
 ぱたん、と響いた扉の音と遠ざかっていく足音に、獄寺は山本が去ってしまったのだという事実を知る。思わず漏れた嗚咽に、獄寺くん、と呼ぶ声が重なった。
 「獄寺くん――」
 酷く、優しい声だった。愛を囁くかのように、甘い声だった。
 ぎしり、とベッドが軋む音と共に頬に寄せられた掌を、獄寺は首を捻って避けた。
 「どうして、・・・こんな、ことを・・・っ」
 内に渦巻く様々な感情を押し殺そうとして失敗したその声は掠れていて、僅かに震えていた。どうして、ともう一度呟いた獄寺に、綱吉は「獄寺くんの所為だよ」と答えた。
 「俺が、こんなに愛してあげてるのに・・・それなのに、俺以外の奴から愛される、獄寺くんが悪い」
 獄寺は惹かれるように瞼を上げ、そして自身を見下ろしてくる琥珀色の瞳を見つけた。綱吉は、今にも触れ合いそうな近さで獄寺を見つめている。その瞳が、今にも泣き出しそうな色を湛えていることに、獄寺は気づいてしまった。
 「俺以外の奴に愛されるなんて、そんなの許さない」
 だってそうでしょ?、綱吉は口を開いた。
 「獄寺くんを愛していいのは俺だけだ・・・俺だけが、獄寺くんを愛していれば、それでいいんだ――」
 俺だけが、続けようとした綱吉の声が掠れる。獄寺を見つめる綱吉の瞳はあまりに美しく、あまりに儚かった。その瞳に滲む切ないまでの揺れを見て、獄寺はそっと口を開いた。
 「俺の、所為ですね・・・?」
 十代目、と呼びかけた獄寺の声に、綱吉の瞳が僅かに見開かれる。綱吉の体が震えているのが、合わせた素肌から獄寺に伝わる。その震えは、あまりに哀しく愛しい。獄寺は微笑んだ。
 「これ、外してください」
 しゃらり、と鎖を揺らしながら獄寺は綱吉を見つめた。綱吉は無言のまま、小さく首を振る。
 「逃げませんから」
 綱吉の瞳を真っ直ぐ見つめたまま、獄寺は言葉を紡ぐ。逃げるわけないじゃないですか、獄寺の言葉に綱吉は僅かな躊躇を見せたが、ふわりと微笑んだ獄寺に、ポケットに隠し持っていた鍵を取り出すと獄寺の手首に煌く鎖へと近づけた。
 かちゃり、と小さな音をたて、鎖が外される。
 自由になった両腕を、獄寺はゆっくりと綱吉に伸ばした。そして、目の前の身体を抱きしめる。綱吉の身体は冷え切っていて、やわらかみがなかった。
 「愛しています、十代目」
 綱吉は獄寺の肩の上に顔を埋めたまま、動こうともしない。首筋を撫でる震える吐息を感じながら、獄寺は静かに瞳を閉じた。


 


  「あなただけを」











2009.04.18