そこには、重苦しい静寂と濃密な闇が渦巻いていた。 家具のひとつすらない部屋には大きな窓が据えられており、そこから差し込む外の明かりだけが部屋を照らし出す唯一の灯となっていた。じじ、と窓辺に近い街灯の光が揺れる。 獄寺は冷たい壁に背を預け、それらをぼんやりと見つめていた。後ろ手に拘束された手首は痺れに似た怠慢な痛みを訴え、血のうまく回らない指先は感覚がなくなっている。昨晩殴られた頬は熱を持ち、そこに壁の冷たさは優しく感じられた。背後の壁に頬をひたりと当てて唇を舐めれば、血の味が口に広がる。汗で頬に張り付く髪のうっとおしさに首を振ると、しゃらり、と首に繋がれた拘束器具が澄んだ音を立てた。鉄製の首輪から壁へと繋がる鎖は繊細だが頑丈で、長さはこの陰気な密室を歩き回るには十分であったが窓から外を覗くには短すぎた。最も今の獄寺に、この密室から逃げ出そうなどという意思はなかった。彼、もそれには気づいているのだろう。この密室に初めて招かれた日には猿轡やら足枷やらと大層な歓迎を受けたものだが、抵抗しようとしない獄寺に、その拘束は日に日に失われていった。今では獄寺をこの場へ繋ぎ止めるものは、手首に煌く手錠と、首に輝く首輪だけだった。 コツ、コツ、と近づく足音に気付き、獄寺はうな垂れていた顔を上げた。規則正しいその音は段々と大きさを増し、部屋の前で止まる。しばらくの後、鍵の回る音がして、重い扉が開かれる。薄暗い密室に光が差し込み、その眩しさに獄寺は僅かに目を細めた。軽い音と共に扉が閉まり、すぐ部屋は先ほどまでと同様に濃厚な闇に染め上げられる。目の中で煌く光の残光に何度か目を瞬いていた獄寺は、軽い靴音と共に近づいてくる人物に気づいて口を開いた。 「元気そうじゃねえか」 「君もね」 雲雀は憎憎しげに呟くと、腕を組んで獄寺を見下ろした。 「まだしぶとく生きてるんだ?」 「おかげさまで」 雲雀の言葉に、獄寺は軽く肩をすくめて返した。ふん、と雲雀は鼻で笑うと、床に座り込む獄寺の銀髪を乱暴に掴み上げた。引かれるままに獄寺の膝が僅かに伸びる。しゃらり、と首から繋がる鎖が揺れた。雲雀は獄寺の顔を覗き込むと、唇の端を歪めて笑った。 「無様だね」 なにか僕に言うことはないの?、雲雀の笑みが深まる。その笑みを象る形のいい唇を見詰めたまま、「なあ、」と獄寺は問いかけた。 「お前、煙草持ってねえ?ヤニがねえと調子でねえんだよ」 「……僕を怒らせたいの?」 雲雀は髪を掴んで引き上げた獄寺の腹を蹴り上げると、思わずといったように蹲る獄寺の肩を足で押してその体を床に倒す。肩を激しく床にぶつけ、獄寺は唇をかみ締め漏れそうになった呻き声をこらえた。暗闇の中の雲雀が、気配だけで笑う。 「君さ、今自分が置かれてる状態、分かってるの?」 床に身を投げ出す獄寺の胸に片足を置き、雲雀は獄寺の顔を覗き込んだ。 「分かってなかったら、こんなとこいねえよ」 「………」 雲雀はゆっくりと跪くと、獄寺の体に跨りその胸倉を掴んだ。獄寺の上半身を引き上げ、触れ合うほどの近さで瞳を覗き込む。しゃらり、と獄寺の首から下がる鎖が、また、音を立てた。獄寺が目の前の瞳をじっと見つめ返すと、その闇を宿した漆黒の瞳が、わずかに揺れた。 「……んで、――君、」 薄く開かれた雲雀の唇が僅かに震える。紡がれた声は、酷く乾いていた。雲雀は乾いた唇を舐めて言葉を続けようとしたが、しかし、その唇がそれ以上言葉を紡ぐことはなかった。 雲雀は獄寺から視線を反らすと、胸倉から手を離した。そうして軽く頭を振るうと、獄寺のベルトに手を掛けた。獄寺は軽く瞳を閉じると、身をだらりと投げ出して雲雀にされるままに任せる。毎夜繰り返されるこの行為に意味など求めるのは愚かなことであると獄寺は知っていたが、同時にこの行為の意味するものも知っていた。こいつ、は知らないのかもしれない。獄寺は自身の体を押し倒す雲雀をちらりと見て、そう思った。 雲雀は獄寺のズボンを下着ごと全て取り去ってしまうと、投げ出された両足首を掴んで獄寺の股を開かせ、憤った自身を一息に挿入した。 「っぅ、……ぁあ――っ!は、……っ」 毎夜抱かれ続けた獄寺の身体は雲雀を受け入れることに慣れ、準備もなく挿入されても傷つくことはなかった。しかし身体を引き裂かれるかのような痛みはなくならず、呼吸すら止まるほどの苦痛に獄寺の額にじんわりと汗が滲む。 雲雀は自身の全てを獄寺の中におさめてしまうと、獄寺の呼吸が整うのも待たずに腰を動かし始めた。 「は、……ぁ、ぁ……っ、ん」 雲雀の動きは性急で、激しく、余裕がなかった。いつも、雲雀はこうやって獄寺を抱く。 苦しい攻めに喘ぎながら獄寺は生理的な涙に滲んだ瞳でただ雲雀だけを見つめていた。雲雀が強く獄寺を突き上げる度、さらりと彼の黒髪が窓から差し込む月光を反射して煌いた。綺麗だな、と獄寺は思った。獄寺はその髪に触れてみたい衝動に駆られたが、自由にならない両手では無理だし、そもそもそれを雲雀が許すとは思わないので、ただ黙って雲雀の揺れる髪を見つめていた。 「っん、……、あ、は……、」 雲雀は絶えず腰を突き動かしながら、ふいに獄寺の花芯を掴んだ。びくり、と大きく獄寺の身体が跳ねる。後ろを攻め立てながら花芯を強く扱かれ、獄寺の口に甘さを孕んだ喘ぎ声が上がる。 「あぁ、っ――………っ!」 雲雀が最奥を突いた時、獄寺はその手の中に蜜を迸らせていた。雲雀も低く呻くと、獄寺の中に自身の熱を吐き出す。薄暗い密室には、男二人の荒い息遣いか響いていた。しばらく短い息を吐いていた雲雀は、ゆっくりと視線を獄寺に合わせると、絶対的征服者の瞳で獄寺を見下ろした。 「舐めなよ」 君が出したものでしょ?、雲雀は蜜が滴る指を獄寺の口元に宛がうと、にやりと口元を歪ませた。勝者の笑みを浮かべる雲雀を、獄寺はじっと見つめ、そして、微笑んだ。口元に笑みを携えたまま、獄寺は躊躇なく雲雀の指を口に含んだ。雲雀の顔を見つめ、雲雀の指に絡まる白い蜜を丁寧に舐めあげていく。雲雀の体が強張るのが、指先に触れた唇から獄寺に伝わった。 「んで、・・・君――」 雲雀は、震える唇を静かに開いた。 「なんで、・・・君・・・笑ってるの?」 雲雀の問いかけに、獄寺は笑みを深めただけだった。雲雀の顔が歪む。 「答えなよっ」 雲雀は獄寺の首を飾る拘束器具から繋がる鎖を乱暴に引くと、床に沈む獄寺の上半身を引き上げた。錆付いた鎖を握る雲雀の手は、血の気を失って白く震えている。雲雀は叫んだ。 「答えなよ、獄寺隼人!!」 間近で覗き込んだ雲雀の瞳は揺らめき、そこにはただ獄寺の姿だけが映っていた。漆黒の瞳に映る自身の姿を見つめ、獄寺は口を開いた。 「――幸せ、だから」 雲雀の瞳が見開かれる。戦慄く唇が、なんで、と声になりきれない言葉を紡ぐ。獄寺は「雲雀、」とその名を呼んだ。びくり、と強張る体に気づかないふりをして、獄寺は続ける。 「十代目――沢田さんに、伝言頼めるか?」 口を開こうとしない雲雀に、獄寺は微笑みを浮かべて見せた。 「俺は、幸せだからって……ここに、いたいんだって……」 それと、すいません、って伝えてくれねえか?、そう言ってにこりと笑った獄寺の顔を雲雀はしばらく見つめ、しかし結局何も言わないままに獄寺の体の上から退いた。 「――また、明日来るから」 そう言った雲雀の声は、微かに掠れていた。獄寺は顔を上げ、雲雀を見つめて笑った。 「おう、待ってるな」 「………」 雲雀の顔が、歪んだ。泣きそうな顔だ、と獄寺は思った。 雲雀は乱れた服を軽く整えると、床に蹲る獄寺を一瞥してから背を向けた。密室を出る瞬間、開かれた扉の前で振り返った雲雀の表情は、外から差し込む逆光によって伺うことは出来なかった。雲雀はしばらく扉の前に佇んでいたが、やがて、薄暗い密室を後にした。 音を立てて扉が閉まり、部屋は再び薄闇に包まれる。 「……は、……はは、………っ」 遠ざかっていく足音を耳にしながら、獄寺は小さく声を漏らして笑った。 ねえ十代目、獄寺はこの場にはいないかの人に語りかけた。 笑わずになど、いられるでしょうか? 何ものにも捕らわれない 孤高の浮雲と謳われたあいつが 俺だけのために笑い 俺だけのために傷つき 俺だけをあんな顔で求めるんですよ ねえ、傑作だとは思いませんか? 「すいません、十代目」 きっとあなたは全てわかっているのでしょうね、獄寺は小さく呟くと深く息を吸い込んだ。吸い込んだ空気は濃密な夜の香りと、彼の残り香がした。獄寺はうっとりと瞳を閉じた。 また明日もこの密室を訪れるであろう、囚われの人を想いながら―― 2009.05.10
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