ホワイトライズ








 夜明け前に目が醒めた。
 部屋は薄暗く、耳に響く心臓の鼓動がよけいに辺りの静けさを引き立てている。獄寺は上体を起こし、ゆっくりと辺りを見渡した。目に入ったのは見馴れた寝室だった。酷く腰が重い。血が出ていたのかもしれない。
 ベッドから降り、続きになっている部屋をのぞくと、予想した通りの姿がソファーの上に見つかり、思わず獄寺は片手で目を覆う。
  (いったい俺は、何を期待していたんだ・・・)
 獄寺はベッドへ戻り、シーツを頭から被ると、数時間前の記憶を抱きつつ再び眠りに身を投じた。シーツは雨のにおいがした。



 山本に犯されるのは、昨晩が初めてではない。
 普段口元に湛えられている穏やかな笑みが、ふっと消えたかと思うと、獄寺は山本に蹂躙されている。抵抗はする。だが、どれほど本気で抵抗しても超えられない体格の差に、獄寺は屈するしかなくなってしまう。
 何をそこまで必死なのだろう、と思うほどに、山本は獄寺を必死に抱く。優しさをかける余裕をなくした山本の愛撫は、気持ちいいとか、そんな感情を抱かせる暇を与えない。それこそ獣のように、快楽を排除した行為だった。
 山本は、昨晩もそうして獄寺を犯し、獄寺の横で眠りについた。獄寺は、意識を失った振りをしながら、ぼんやりと、これが始まった時のことを思い出していた。






***





 あの日、山本は獄寺を飲みに誘った。長年連れ添った友の気軽さで、獄寺はその誘いに頷いた。
 気が緩んでいたのかもしれない、そもそも、この二人の間でなにかあるだなんて考えてもいなかったのかもしれない。久しぶりの酒と度重なる仕事による疲労、そして隣にいる山本という存在のためか、ついつい酌が進んでしまった。本格的な酔っぱらいと化した獄寺がテーブルに突っ伏した頃には、既に日付が変わっていた。
 「獄寺、」
 「・・・、んだよ」
 「帰るか?」
 山本の言葉に、獄寺は無言のまま、こくんと頷いた。その時、もう口を開く気力もないほど酔いのまわった獄寺は、タクシーを呼ぶという山本の声もぼんやりとしか聞いていなかった。
 山本は獄寺を抱えるような状態でタクシーへ乗せた。その時、ふっと山本から、感傷をくすぐる香りがした。闇に降る雨の香だ、と獄寺は酔った頭の片隅でそう思った。
 タクシーの中、山本は始終無言だった。普段は煩いと思うことすらあるというのに、その日は本当に一言も喋らなかった。獄寺も黙っていた。肩にまわされた山本の腕に力が入ったのを感じても、獄寺は無言のままだった。タクシーが止まった場所が、普段山本が根城にしているアパートの近くだと気づいても、獄寺は無言のままだった。
 山本は獄寺を抱えるようにして家へ連れ込むと、突然激しい口付けを仕掛けてきた。口付けに嫌悪感はなかった。獄寺はこれが、自分が長い間待ち続けていたものだと知っていた。しかしそれは獄寺の予想していたような、甘く、優しいものではなかった。山本の舌に強引に歯列を割られ、口内を好き勝手に掻き回された時、獄寺の身体を動けなくさせていたのは恐怖だけだった。
 「や、・・・まも、と、」
 口付けが途切れたとき、獄寺は震える声で山本を呼んだ。山本は答えなかった。
 「山本、」
 もう一度その名を呼ぶと、山本はじっと獄寺を見つめて「獄寺」といった。だがすぐに、山本は獄寺から目を離した。
 山本は獄寺の身体を近くにあったソファーへ投げ出すと、支配するように乱暴に犯した。抱かれたのではない、犯されたのだ。山本は、しきりに獄寺、と呟いていた。
 





 翌日獄寺は、ベッドの上で目を覚ました。意識を手放した時は確かにあったはずの山本の姿は、なかった。頭は霧がかかっているようにぼやけていたが、腰の痛みで昨夜のことを全て思い出す。獄寺はふらふらと立ち上がると、窓ガラスにうっすら映る自分の顔を見た。酷い顔だった。そのまま部屋の中を回ってみたけれど、山本の姿はどこにもなかった。外へ出ると、静かな雨がしとしと降っていて、山本はその中に傘も差さずに佇んでいた。
 「山本、」
 獄寺は山本の名を呼んだ。山本は動かなかった。冷たい雨に濡れた山本の背中は、酷く小さく見えた。
 獄寺はそっと山本に近づいて、「何も、覚えてねえ」と言った。山本が振り返る。獄寺は微笑んだ。
 「昨夜、俺、たくさん飲んじまって・・・迷惑かけちまったな。――すまねえ」
 それは、獄寺が吐いた嘘の中で、もっとも優しい嘘だった。





***




 再び起きた時、部屋にはコーヒーの香りが漂っていた。
 「起きたか、獄寺」
 湯気の立つコーヒーカップを手に現れた山本を見て、獄寺はこの瞬間が永遠のものになればいいのに、と思った。けれど、一度間違えてしまったものは、もう元には戻らないのだと、獄寺は知っていた。
 獄寺は微笑むと、ため息と共に口を開いた。
 「山本・・・俺、いつここに来たんだ?また、覚えてねえんだ・・・」










2009.3.23