窓ガラスを叩く雨粒の音を聞きながら、山本は水を吸って重くなったスーツに手を掛けた。スーツから零れた水滴がフローリングの床にはじけ、とたんに広がる雨の匂いを深く吸い込みながら、山本は小脇に抱えた箱を慎重にテーブルへ置いた。突然の雨、生憎傘など持ち合わせてはいなかった。濡れないようにととっさに箱を小脇に抱えた。彼の待っている家へ少しでも早く帰りたい、と逸る気持ちを抑えきれずに急ぎ足になってしまったが、箱の中身は大丈夫だろうか。そっと箱を覗き込む。大丈夫だ。山本はにこりとした。しかしこのまま渡すのも躊躇され――紙製の箱は僅かに歪み、水滴で所々色が変わっている――、山本は箱の中身を皿に移すと、それを手に彼の待つ寝室へと向かった。 「……ただいま」 寝室の扉を開けると、噎せ返るほどの雨の匂いと衝動を駆り立てる香り――彼の香りだ、と山本は秘かに微笑んだ――が山本の鼻を衝く。そういえば、窓を閉めるのを忘れていた。明かりのついていない寝室に、薄く開かれた扉から一筋の光が差し込み、ベッドの上にいる彼の影を浮かび上がらせる。二人の世界に、光など必要ないのに。山本は後ろ手に扉を閉めた。途端に部屋は薄闇に閉ざされ、後には雨と彼の香りだけが残った。 「窓、閉めるな」 山本は開け放たれた窓へ近づき、冷え切ったガラス戸を閉めた。雨音が遠のく。山本は窓辺で振り返ると、ベッドの上にいる彼ににこりと笑いかけた。 「ケーキ、買ってきた」 山本は皿に乗せたケーキを掲げてみせる。彼は答えない。山本はベッドに近づいた。そうして闇の中でもなお輝き続けるエメラルドの瞳を認めて微笑んだ。 「ほら、食おうぜ」 山本は彼にケーキを差し出した。しかし、次の瞬間、山本の手は彼の手によって弾かれていた。かしゃん、と山本の手から落ちた皿が耳障りな音を立てて割れる。ケーキは床に落ちて崩れた。 「……せっかくふたりきりのパーティーだってのに、随分つれないのな」 山本は笑みを浮かべたまま、崩れたケーキへ向けていた視線を彼へと戻す。びくり、と彼の身体が小さく跳ねた。山本は彼の細い肩を掴むと、勢いのままベッドに押し倒す。 「なあ、――獄寺」 耳元で囁く山本に、間近で見つめた獄寺の瞳が揺れる。しかしそれは一瞬で、獄寺はすぐに自身の身体に覆いかぶさる山本を退けようと腕をばたつかせた。 「放せっ!」 「あんまり暴れると傷が開くぜ?」 必死の抵抗をする獄寺をいとも簡単に抑えつけながら、山本は笑いと共に戒めた。山本の視線の先には、白い包帯を巻かれた獄寺の足があった。山本が包帯の上から傷口を撫であげると、びくり、と獄寺の身体が強張る。だが獄寺の足はぴくりとも動かなかった。 「しばらくは痛むかもしれないけど、我慢してな?」 腱、切ったからさ。 山本はもう動かぬ獄寺の足を撫でながら、笑う。 「や、めろ」 「どうしたんだ、獄寺?」 震えてるのか?、首筋へのキスと共に呟くと、獄寺の長い睫毛がふるりと揺れた。 「大丈夫だよ。もう獄寺はなんにもしなくていいんだ。傷つく必要も、ない。俺が、守ってあげるから……」 これが俺が獄寺にしてあげられる精一杯なのな、山本は獄寺を見下ろしたまま囁く。 「だから、怖がることなんてなにもないよ」 獄寺の傷を撫でながら、山本は笑う。その瞳は暗く、獄寺を捕えて離さない。 獄寺は小さく首を振った。その口から零れた言葉に重なるように、山本の声が響く。 「誕生日、おめでとう」 獄寺の瞳から溢れた涙を見つめながら、山本は祝福の言葉を囁いた。 外は雨、風の音は聞こえない 2009.9.13 修嶽旅行
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